こんにちは
SNS集客専門家の田尻紋子です。
今回のブログでは、私自身の父親について少しお話ししてみたいと思っています。
これを読んでいる方の中には、父親と仲が良い方や良くない方、現在も元気でいらっしゃる方やすでに亡くなっている方など、いろんな関係性があるはずです。
その中でも私は、父親とは少し特殊な関係性だったのではないかと思っています。
しかしそれでも、父親の生き様というか人生への価値観からは、今の私はすごく大きな影響を受けているんです!
というわけで今回のブログでは、『19年疎遠だった父が私に教えてくれたこと』というテーマについてお伝えしていきますね。
父も母もいない環境で過ごした幼少期
私が物心ついた頃にはすでに、父どころか母すらもいませんでした。
私の両親は、私が一歳半の頃にはすでに離婚していたんです。
その後に引き取られたのは、父方の祖母。
小学生の頃に、母に引き取られることになりました。
それ以来、父に会ったのは数えるほどの回数しかありません。
これまでは何年かおきに会っていましたが、19歳の頃を最後に、まったく会いに来なくなりました。
父への感情を消化したある頃…
大人になってからも、父が許せないと感じることが少なくありませんでした。
しかし私も歳を重ねるにつれて、父の気持ちが多少は理解できるようになり、自分の感情とも向き合うことで、少しずつ消化できるようになったんです。
そして父への感情を消化しきった38歳の時、実に19年ぶりに父が私のもとへやってきました。
そこで告げられたのは、末期のステルス胃癌を患っているということ。
余命わずか4ヶ月と宣告されたタイミングでした。
自分の本当の気持ちに気づいた「お小遣い」
父からは、19年ぶりにお小遣いを貰いました。
その時に私の中では、本当は小さな頃からずっと父を「待っていた」ことに気づいたんです。
とっくに私のことなんか忘れていると思っていたのに、実際には父は私を忘れないでいてくれたことにも気づき、嬉しくて大泣きしました。
お小遣いとしてもらった1万円札は、使うことなく「お守り」として財布に入れて持ち歩くようになりました。
そして4ヶ月後。
19年ぶりにやっと会えたにもかかわらず、父は私たちの元を去っていきました…。
父が私に教えてくれたこと
私の人生の中で、父との関わりは決して濃いものではありませんでした。
しかし父は、私にいろんなことを教えてくれたんです。
- 『奔放に生きて大丈夫』
- 『嫌われても大丈夫』
- 『人生は思いのほか短いから、好きなことをしないともったいない』
彼の生き様から、そんなメッセージを受け取りました。
そして現在。
会社を立ち上げたときに作った通帳には、父からもらったお守り代わりの1万円札を入れました。
そうすれば父が応援してくれる気がしたからです。
きっと今も、どこかで私のことを応援してくれている…そう信じています。
おわりに
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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